佛教大学体育会弓道部 Contents
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佛大弓道部の歴史


佛教大学弓道部の歴史は古く、大正8年(1919)10月1日「武徳会本部より市川徳四郎範士が射場開式を行った」と記述があります。そして市川範士の指導により「精神の練磨と体育の養成」を標榜、「弓術部」の創設であります。

鹿渓の地より鷹陵の地に昭和9年(1934)移転し、第二次大戦〜敗戦〜学制改革と幾変遷を重ね、昭和35年(1960)名称も「弓道部」として再出発しました。
同時にその年の初秋、現在の新図書館の南西隅あたりに木造平屋建ての弓道場が、初代師範那須容和先生の熱意と当時恵谷隆戒学監の理解を得て誕生しました。
{上記は部創部40周年祝賀会での前顧問宮口先生の祝辞から引用させていただきました}

その後は3代目となる道場が現在の図書館の位置に、現在の道場が鹿渓館クラブボックス棟の屋上で弓道部の歴史を見守っています。



関西学生弓道連盟に所属し、現在男女共に関西学生2部リーグに位置し、夢の実現を目指して日々練習を重ねています。
「明るく・楽しく・勝ちにいく」・・・ケジメを大切にオン/オフどちらにも全力をつくします。各自が明確な目標を持っているから厳しい練習も「楽しく頑張る」ことができる=この精神が佛大弓道部の歴史を支えてきたといえるのでしょう。


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初代師範那須容和先生は当時、佛教大学と龍谷大学両弓道部の師範でありました。そのことがその後に大きな影響を与えることとなりました。

那須容和先生は日置流尾州竹林派射法と日置流印西派射法に精通されていたそうです。晩年は佛大弓道部に特に力を注いでおられたということを聞いたことがあります。その指導の中で、印西派射法に見られる「三分の二」をとるようにされたということが現在も道場に掲げられている「弓法射技所要時間」に明記されています。

当時を知る諸先輩方はそれを「那須先生独自の指導=那須流」ととらえ、現師範田中信道先生を中心とした指導の中に息づいているのだと思います。弓道としての技の部分も大きいですが、何より那須先生の意思を受け継ごうという熱い思いが今に伝わっているのです。

もちろん使用している弓も「三段籐」で一見して「佛大弓道部だ」と目立ちますが、巻き方は異なり、那須先生が生前使用されていた弓を模したもの、つまり那須先生が京都の柴田勘十郎弓師に巻かせた籐そのままの形を受け継いでいるのです。(那須先生が三十三間堂の堂射で使用された弓が同堂本堂内に展示され、一般公開の時に見ることが出来ます。)




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沿革
大正8年 佛教専門学校時代「弓術部」創設
昭和35年 「佛教大学弓道部」創設
昭和42年 関西リーグ初優勝
昭和45年 男子2部リーグ昇格
昭和50年 「龍佛会」発足
昭和53年 那須師範ご逝去、「弓道部OB会」発足、2代目道場完成
昭和56年 男子1部リーグ昇格、女子2部リーグ昇格
昭和60年 創部25周年記念祝賀会、「鐡心肝」第1号発刊
昭和63年 那須与一800回忌射会
平成元年 女子1部リーグ昇格
平成2年 創部30周年記念祝賀会
平成3年 那須師範13回忌法要射会
平成4年 3代目道場完成
平成7年 女子王座決定戦出場、男子1部リーグ昇格
平成9年 「鐡心肝」第2号発刊
平成11年 男子1部リーグ昇格
平成12年 創部40周年記念祝賀会


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学歌
(昭和11年4月制定)
作詞:小西存祐   作曲:吉田恒三

一、高輝(ひか)る千古の都
   若草の萌出るところ
    ここ鷹陵の吾等が学舎
     ここ鷹陵の吾等が学舎
      ここ鷹陵の吾等が学舎

二、礙(さえ)られぬ光こめたり
   黒谷の春のあけぼの
    誰(た)ぞ開く報恩蔵
     誰(た)ぞ開く報恩蔵
      誰(た)ぞ開く報恩蔵

三、 仰ぎ見よ華頂の峰
   その高き教えぞ栄ゆる
    還(げん)愚痴の聖(ひじり)存(い)ませり
     還(げん)愚痴の聖(ひじり)存(い)ませり
      還(げん)愚痴の聖(ひじり)存(い)ませり

四、 世はあげて五濁に悩む
   いざ起ちて仏土浄めん
    選択の御旗かざして
     選択の御旗かざして
      選択の御旗かざして



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